Snugsville!

日常の覚え書

正月麻雀

 元日は、叔父叔母夫婦の家で正月麻雀。私は何度か和了はしたものの、これといった和了が続かず、総じてパッとせず。調子が良かったのは従兄弟のA君で、槓ドラの東が3枚乗ったり、ドラ2枚に加えて裏ドラ3枚乗ったりと、おみくじで凶を引いたわりに絶好調でした。A君おめでとう、今年はいいことありそうですね(ΦωΦ)

年末年始本

 年末年始に読む本。西加奈子の「まく子」は、装丁の絵に引かれて借りたんだけど、年々フィクションを手に取るのが億劫になりつつある…。何だか人の作り話を読むのがしんどいのである。そうは言いつつも、たまにはお茶を濁す程度に読むのだけど。「ヒルビリー・エレジー」は、図書館で順番待ちをせずに借りれたので、ゆっくり読みたい。 

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 先日読んだ田尻久子さんのエッセイが思いのほか良かったので、文芸誌「アルテリ」を買い求めたが、坂口恭平氏の絵にやられてしまった。

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ギャラリーS

 ギャラリーSで、荒木きよこ先生の絵を買い求める。感慨深いものがある。初めてギャラリーSに足を運んだのは、学生のころだったような気もするが、よく覚えていない。頻繁に足を運ぶようになったのは2015年ぐらいのことである。当初は、面白そうなので首を突っ込んでやれ、くらいの気持ちだった。ところがこのギャラリー、一筋縄ではいかない伏魔殿のごとき館であった。じょじょに私は、ギャラリーSに続くハンター坂を重たく感じるようになった。それは私が、絵描きでも評論家でもコレクターでもなく、ただの鑑賞者だったからであり、それ故に、ただ見るという立場に疲れてしまった時もある。とはいえ当初の何も知らない好奇心ばかりが先走っていたころに絵を買い求めていても、それほどの感慨は抱かなかっただろう。この数年間、心を張り詰め、グシャグシャの気持ちを抱え、それを試されたり、促されたり、あるいはささやかな、寄り添うような、圧倒的な美に心を打たれたりした。あれほどの絵画を適度な距離感を保ちつつ見せてくれるギャラリーを、私はほかに知らないのだ。また黙殺されたりするんだろうけど。

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マイベスト映画 in 2018

2018年のマイベスト映画。今年も、月に1度は映画館に足を運んだ。映画は時に、僕に親密だったり、そっぽを向いたりした。来年も僕は映画館に足を運ぶ。映画、今年もありがとう。


映画『希望のかなた』予告編

 


アカデミー賞有力!映画『スリー・ビルボード』予告編

 


『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』予告編

 


【公式】『四月の永い夢』大ヒット上映中!/予告編

 


【公式】『万引き家族』大ヒット上映中!/本予告

 


「恋は雨上がりのように」予告

 


映画『ウィンド・リバー』日本版予告編

 


映画『カメラを止めるな !』予告編

 


「きみの鳥はうたえる」 予告編

 


『日日是好日』予告 2018 年10 月13 日(土)公開

 


映画『ボヘミアン・ラプソディ』最新予告編が世界同時解禁!

久しぶりの図書館

 久しぶりの図書館。読む本がなくなり、私はこの数日干からびていたのであった…。「ヨーコさんの"言葉”」「猫はしっぽでしゃべる」と、猫が2匹釣れた(ΦωΦ)
「0円で生きる」。この手の本を好んで読むのは、日本のふたたびの急成長が見込めないのは目に見えているからである。となると限られた資源を活用したり再利用したりして循環型の社会に移行することがキモだと思うのだが、やれ五輪だ、万博だなどと騒いでいるのを見ると、過去の亡霊に取りつかれているとしか思えない。彼らを日本の趨勢とするなら、私はマイノリティや周縁として生きるしかないかなあという気がするが、この本に書かれているような暮らし方が、あるいはその一部が、あるいはその精神が、これからのオルタナティブになればいいのにと願う。

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なんのために学ぶのか

仲野徹先生の言葉より

なんのために学ぶのか

専門のことであろうが、専門外のことであろうが、
要するにものごとを自分の頭で考え、
自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。
たったそれだけのことです。そのために勉強するのです。
大阪大学大学院 幹細胞病理学/病因解析学|なかのとおるのつぶやき

師走ですね。

 11月は色々用事があったが、師走の12月に入ってわりと落ち着いた。今は、なぜか増えたウイスキーを飲みながら、曽我部さんカバーのフィッシュマンズを聴いてる。年末に向けては年賀状を書いたり大掃除をしたりだが、ボヘミアン・ラプソディはぜひ劇場で見たい。TOHOのサイトをチェックしても混んでいるので困りものである。最後は黒ラベルで締めたい(ΦωΦ)


BABY BLUE 曽我部恵一 (Fishmans cover)

「ポケットに物語を入れて」

 角田光代の「ポケットに物語を入れて」より。

 女と料理が書けたら作家は一人前とどこかで聞いたことがあるが(これも開高健が引用しているが)、女はともかくとして、味について書くのは本当に難しい。味覚というのは自分の口のなかという、あまりにも個人的な部分で生じるものごとで、しかも、感情のように抽象ではなく、まぎれもなく具体であるわけだから、感覚を押し開いてその具体をつかまえ、言葉に変換しなくてはならない。自分で書いていると、この難しさはまざまざと実感させられる。自分の感覚に耳を澄ますことがまず難しいし、それをなんとかクリアすると今度は、言葉の限界にぶちあたる。とろけるような、だとか、まったりした、だとか、ほのかな甘みが、だとか、どこかで聞いた退屈な言葉を一掃して、自分の言葉をさがさなくてはならない。私は幾度も、己の言葉の少なさ、狭さにうなだれた。いや、今も味について書こうとすると、決まってうなだれている。
 その点、開高健はすごい。「言葉にできないと絶対に書くなかれ」と言うだけのことはあって、それはもうすさまじいほどの勢いで、味というとらえどころのないものをつかまえ、解体し、持っている言葉を総動員して、書く。『ロマネ・コンティ・一九三五年』の、二種類のワインについての記述は、読んでいるだけで鳥肌がたつ。言葉というものの可能性を知る気がする。

 やはりこの一冊も、私にとっては爆発物だった。読んでいるあいだずっと、自分の薄っぺらさを実感させられ、何かを書く気力が失せた。仕事なんかすべて放り出してどこかへ逃げてしまいたくなった。やむなく書かざるを得ない食べものの記述はとくにこたえた。おのれの言葉の貧弱さ、ひいては感情の貧弱さがいちいち目につく。それでもなんとか机にしがみついて締め切りに向け文章を書き続けたのは、ある信条が私にはあるからだった。

ポケットに物語を入れて (小学館文庫)

ポケットに物語を入れて (小学館文庫)