藤井四段

 藤井四段が29連勝を果たしました。なんかもう、ひとえにすごい。
藤井四段は2002年生まれで、中学生である。だが、あの相貌は中学生に見えない。見ようによっては、35歳のおっさんが中学生の被り物をかぶっているようである。中身は中学生ではないのだ。
 僕は将棋の専門家じゃないので、藤井四段が羽生三冠のように、これから先長きにわたってずば抜けて高いパフォーマンスを発揮し続けられる棋士になれるかどうかはわからない。でも、加藤九段の引退と藤井四段の連勝が重なったことには、やっぱり何か因縁めいたものを感じざるを得ないんだよな。

天才棋士降臨・藤井聡太 炎の七番勝負と連勝記録の衝撃

天才棋士降臨・藤井聡太 炎の七番勝負と連勝記録の衝撃

 

「美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか」

 会田誠の「美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか」という本を読んだ。僕は現代アートに対してはあまりいい印象を持っていないんだけれど、彼らは現代の美術界等に対して問題意識を持って戦略的に作品にアプローチしていることがわかった気がする。また、アニメと浮世絵の親和性などについても触れられていて、面白かった。
「中央線が、嫌いだった」は、読んでいて笑いが止まらなくなった 笑。「いかにすれば世界で最も偉大な芸術家になれるか」も面白い。この人、突っ込みどころを作って自分で突っ込みながらやっていて、やっぱり笑えるんだよなあ(以下引用)。

①同じことは――いや似ていることさえ、二度と繰り返すな。天才芸術家には毎秒毎秒記憶喪失を繰り返すくらいの、精神の鮮度が必要だ。
②自分の過去がどうだっていいように、人類の過去だってどうだっていい。天才芸術家にとって過去の奴らなんて、みんな取るに足らない下手っぴばかりだ。
③芸術家にスケジュールや納期という概念はない。
④英語を喋るなんて凡庸なことを平気でできる時点で、自分の才能を疑った方がいい。どうしても母国語以外を喋るという暇つぶしがしたいなら、古代シュメール語とか犬語とか、面白いのにしておけ。
⑤パスポートは要らない。海の向こうからの客は、気が向けば迎えてやってもいいが、自分が客になることはありえない。
⑥指から伝わって魂が腐るから、金には触るな。というか、そういうものが腐ったこの世にあることを、最初から知るな。
⑦大物の権力者やコレクターやキュレーターやギャラリストや批評家に会っても、すぐに忘れろ。そして次に会ったら「は? どなたさん?」と言え。というか、理由なく突然殴ってみてもいい。
⑧向精神作用のある有害物質を含む、あらゆる嗜好品を常時摂取し続けろ。それを肝臓で濾過するのも馬鹿馬鹿しい話だから、あらかじめそんな無用な臓器は摘出しておけ。
⑨大恋愛と決闘は定期的にやるといい。
⑩仕事するな。何も作るな。

「人生フルーツ」@第七藝術劇場

「人生フルーツ」を見に、第七藝術劇場に行ってきました。人生初のナナゲイである。これまで行ったことがなかったのが不思議だけれど、私、ドキュメンタリーとかあんまり見ないからか…。この映画はDVDにならないと知り、じゃあ! ということで初のナナゲイとなったのだった。
 90歳と87歳の老夫婦のドキュメンタリー。とにかく2人とも元気。そして仲がいい。特筆すべきは庭の広さ。その庭のなかには命を宿しているような雑木林や畑がたっぷりとあって、これはすごいなあと思った。
 30を過ぎて生き物を飼ったり、生き方に関する本を読んだりするなかで、やっぱり人間らしい暮らしをしたいなあという思いが強くなった。人間らしい暮らしとは、会社にこき使われるんじゃなくて、お金はそんなにたくさんなくてもいいから、自活できるくらいに働くこと。本を読んだり、美術に触れたり、思索をしたりする時間があること。そしてこの映画のように、自然に寄り添って生きることだ。飼っているイシガメやリクガメでも、放し飼いにできるくらいの広さの庭があればどんなにいいだろうと思う。
 ご主人の修一さんが亡くなったときの顔をちゃんとカメラでとらえていたのが印象的だった。突然英子さんが喪服を着ているので、誰が亡くなったのかと思ったら、修一さんなのである。死に方は生き方をあらわすというけれど、自然に土に還っていくような亡くなり方だった。そして英子さんは、修一さんが亡くなったあとも「あの人はコロッケが好きだったから」とか言いながらコロッケをあげていて、これもまたすごいなあと思った。最近、地方暮らしなどの本を読むなかで、こういう生き方もあるのだなあと実感した。まあ、ニュータウンにあれだけの土地を持つのはなかなか難しいんだろうけどなあ。

植本一子

 植本一子の「かなわない」という本を読んだ。家族の日常を中心にした日記なんだけれど、自分の感情にとても素直な文章である。いいことも悪いことも、よい感情も悪い感情も吐き出す。そこが面白いと言えば面白いし、最後のほうは読んでいてしんどかった。たとえば自分を例にとると、文章を書くときはなんとなく力が入ってしまうし、そうするとどうしても文章にフィルターがかかる。ネガティブなことはなるべく文章にしなかったりする。だが、植本一子の文章にはほとんどフィルターがかからない。だから「こんなことまで書くのかw」ということまで書くし、そこが日常にべたあっと貼りついているようで面白い。とはいえ彼女の場合、すべてを文章で晒すことで、より起伏の大きな人生を呼び寄せているような感がしなくもない。「私日記」とでも言えばいいのだろうか。ちょっと前、T井氏という絵描きの方が「男性より女性のほうが持っているものを素直に出しやすい。でも、男性は力技で出してしまう」というようなことを言っていた。植本一子の文章を読んでいると、T井氏の言っていたことがわかるような気がする。僕には多分、彼女のような文章は書けないのだと思う。

かなわない

かなわない

ひどすぎる。

 この政権、さすがにやり方が汚すぎる。腹に据えかねるものがある。

空気公団with曽我部恵一アンソロジーライブ

 空気公団with曽我部恵一アンソロジーライブ@ビルボード大阪に行ってきました。空気公団は1997年に結成されて、今年が20周年なんだよなあ。前の京都のライブのときは、ニューアルバムからも昔の曲からも演奏してくれたけど、今回はアンソロジーということで、2004年までに発表された曲限定のライブ。僕が空気公団を初めて聴いたのは、2004年に発売された「空風街LIVE」というアルバムで、それ以降もわりと昔のアルバムから遡って聴いてきたので、今回は「あ、この曲やってくれるんだ」「あ、これもだ」という感じで、馴染みのある曲が聴けるたびにいちいち嬉しかった。山崎さんの声はやっぱり優しげで、一人ひとりの生活に寄り添うようで、それはこの日、あの空間であの音を共有した者として、そっと心のうちであたためておきたいと思えるような、空気公団ってやっぱり僕にとってそういうバンドなんだなと再認識した一日だったのです。
 でも、山崎女史はサニーデイ・サービスのライブとか行ってたんだよなあ。自分も学生のころサニーデイ聴いてたわ…。曽我部氏を聴いて育ったバンドと曽我部氏のライブを20年経って聴きに来ることになるとか、あのころに想像できたはずもなく。

Anthology vol.0

Anthology vol.0

シャツを洗えば

 この季節は、大体シャツを着る。長袖のシャツを腕まくりして着ることが多い。一番好きな季節である。
 シャツは着るのも好きだけど、洗うのも好きだ。ちょっと温かな風呂の残り湯で、襟や袖に石けんをつけて手洗いする。それから全体を軽くもみ洗いして、陰干しする。まだ梅雨入りはしておらず、空気は爽やかで、気分は晴々しい。シャツを着る喜びのなかにはすでに、シャツを洗う喜びが含まれている。

シャツを洗えば(くるりとユーミン)

シャツを洗えば(くるりとユーミン)

レコード

 久しぶりにレコードをかけました。レコードの置いてある部屋は、夏は暑く冬は寒いので、なかなかレコードをかける気になれない。5月のからりと晴れた日に窓を開け、酒でも飲みながらレコードで音楽を聴いているような時間が、一年でも一番幸せな気がする。