知っていること、感じること。

 父と話していると、「〜のことは知っている?」と聞かれることがある。「〜という俳優はとても有名だよ」と話す知人もいる。父親アシモフの雑学コレクションを渡したら、マスタベーションを覚えた猿のように、本にマーカーを引きまくっていた。僕はトリビアゲームに興味はないし、こういった話し方はあまり好きではない。

 僕は中学のとき、文学者と作品の名前を覚えるのが大嫌いだった。ほとんど憎んでさえいた。読んだこともないのに、名前だけ記憶しても仕方ないじゃないか、そんなの暗記マシーンじゃないか、と。僕が受けた高校の国語の試験では、過去十年、文学者と作品名に関する問題は出ていなかったので、これは受験のしがいがあるぞと意気込んだのだが、僕が受験したその年に、初めて文学者と作品の問題が出題された。僕は試験のあと、ほぞを噛んだという。

 僕は、高校で受けた漱石の授業が面白かったから、大学では日本文学を専攻したかったのだが、自身日本文学を専攻していたため強固な説得力を持つ母親に「島崎藤村も知らないのに文学部に入るなんてとんでもない」とたしなめられので、断念して社会学部に進学した。結果的に社会学部には面白い先生が何人かおられたし、いくつか面白い授業もとれたので悪くはなかったのだが、しかしあそこは屁理屈をこねて食い下がって、文学部に行くべきだった。

 知識というのは、好奇心があればついてくるものである。野球が好きなら、風呂に入っているときに選手の名前を無意識に暗唱していたりするし、英語が好きなら、読んだ本に出てきた知らない単語の意味を思い返したりする。大切なのは、好奇心である。単に名前のみを知っていることにあまり意味はない。常にしなやかな心を持ち、感受のアンテナをピッと張り、自分の関心に正直に、未知のものに対して好奇心を持つことが大事だ。そして、「〜は有名だから知っていて当然」なのではなく、「〜を知ってどう感じるか、どう思うか」だ。感じたものが言葉となって形を持ち、それが、好奇心によって身についた知識と結びついたとき、そこには、名状しがたく豊穣な世界が僕たちを待ち受けているのだ。

アシモフの雑学コレクション (新潮文庫)

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破戒 (新潮文庫)

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