集中力と仕事量は比例するのか?

 集中力と仕事量は比例するのか? このような仮定を立てたことがある。
 大学を卒業してすぐのころ、独学で英語の勉強をしていたときがあった。そのときはもうとにかく機械的に単語の意味ばかり覚えていたんだけど、必死になって勉強した直後の試験ではあまり点数は上がらなかったのだ。
 そして夏になった。僕は夏が苦手で、あまり集中できないんだけど、惰性ながらにずるずると単語を覚え続けたところ、その次に受けた試験で飛躍的に点数が上がったのである。 
 そこで思ったのだ。集中力と仕事量は比例するのか? と。惰性ながらでも手は動かしておけば、ちゃんと結果は出せるんじゃないか、と。
 しかし、この仮説は機械的な“オベンキョー”に限られるようだ。翻訳に関しては、惰性ながらにやっていていい訳出ができたためしがない。
 さらに翻訳について言えば、集中したあとに空ける時間が存外大切なんだな、と最近は感じる。翻訳の勉強をしたあと、風呂に入ったり、散歩をしたりしているときに、「あの英文はどう訳出すればいいかな」と、考えるともなしに考えていると、ふといい訳出が出てきたりするのだ。集中して考えていると、訳出という澱は瓶のなかでぐるぐるとかき混ぜられ水中を漂うけど、そのあと時間を置くことによって、集中した濃密さの分だけ、強固なかたちをとって眼前に立ち現れてくる感じがするのだ。