カメを飼うということ

 ニホンイシガメを飼っている。名前を檸檬という。子亀のころは、肌も甲羅もそれこそ檸檬色だった。飼い始めて5年ほどたった今では、体長10センチを超えている。
 カメというのは、飼いごたえがあるのかないのか、いまいち手ごたえとしてつかみにくいものがある。大きくつぶらな瞳は愛情を覚えるには十分にいじらしいのだが、爬虫類だけあって表現力にはとぼしく、細めて喜びをあらわすようなこともなく、まじまじとこちらを見返してくるのみで、僕が認識されているのかいないのかそこから読み取ることはできない。犬みたいに尻尾もふらないし、猫みたいに甘えてすり寄ってもこない。頭をなでようとすると、初めはびくついてすぐにひっこめてしまうのだが、だんだんなれてくるとされるがままになでられ、どこから出しているのか、ギュコギュコと舌を鳴らすような音を立てる。
 水を変えるときはベランダに放しておくのだが、石の破片やらゴムやら落ちているものは何でも食べてしまうので、そのときは顔を軽く弾いてお叱りするのだが、再度ベランダに放すと、何ごともなかったかのように、埃やら石やらを物色しはじめる。自分のお叱りが何の効果も与えられていないことに、いや、おそらくそれがお叱りと認められてさえいないことに、一抹の切なさを感じる。だが、檸檬に初めて手移しで餌を食べさせることができたときは、僕はひそやかにほくそ笑んだ。
 カメは長生きである。20年、30年平気で生きる。前のクサガメは20年近く生きた。飼い始めたのは僕が小学生のころで、30のときに死んだのである。もし檸檬が20年生きるとしたら、僕は50代になっている。その時間の長さを想像すると、なかなかに心寒いものがある。でも、その緩慢で、飼いごたえのつかみにくいところが、僕がカメを飼う理由なのかもしれない。本当は抱き潰したくなるほど愛くるしいゴールデンレトリーバーを飼って、フリスビー大会で入賞でも狙いたいところなんだけど、レトリーバーを飼うにしろ飼わないにしろ、僕はたぶん50歳になってもイシガメを飼っていると思う。